2021年1月19日(火)

 近所のタピオカ屋が今月いっぱいで店をたたむそうだ。店ができたのは2019年の夏で、当時すでに「今さらこんなローカルなところでタピオカを売ってやっていけるのか?」と思った記憶があるから、がんばった方ではないだろうか。

 私がこのタピオカ屋を利用したのは2019年の夏と秋の2回。どちらも、保育園に娘を迎えに行った際に時間より早く着き、時間をつぶすためタピオカを飲んだのだった。私は薄情なのか、「幼少期に通った駄菓子屋が更地になった」とか、「学生時代に通った定食屋が閉店した」といったことに無頓着で、思い出の場所がなくなることを惜しむ感情が希薄なのだが、たった2回きり利用したこのタピオカ屋の閉店には寂しさを感じた。

 娘が幼かったため、送り迎えの時間は仕事や色々な悩み事を一旦置いといて、娘だけに向き合わなければならなかった。帰り道、娘に「公園に寄りたい」と言われれば従うし、「お腹が空いた」と言われればコンビニに寄った。仕事の催促のメールが来ても(娘が公園で遊びたいって言ってるんだから仕方ない)と思い、娘と遊んだ。娘のせいにして、仕事や家事などやらなければいけないことから開放された時間を過ごしていたのかもしれない。差し迫った仕事の〆切があるけど、娘を迎えに行けるのは自分しかいないのだから、こうして色々ほっぽりだして外に出るのは仕方ない、と自分に言い訳をし開き直ってタピオカを飲んだ気がする。慌ただしい時間だったがいま思えばかけがえのない時間だった。だから、たった2回訪れたタピオカ屋の閉店に寂しさを覚えたのかもしれない。